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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

「それって何のため?」と考えすぎてはいないかという話

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以下のマー (id:kun-maa)さんのエントリーを読みました。マー (id:kun-maa)さんは「好きなこと」と限定しているわけですが,これって好きなことに限らずあらゆることに当てはまると思うんですよね。


[ま]好きなことに意味や意義を求めると息苦しくてつまらない @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

 

例えば子育てしていると「何のためにそれをやるんですか?」という質問をする人が多いんですよね。子供のためになぜそれをするのか気になるというのはよく分かるのですが,何かをしてみてその意味や目的が初めて分かるということは意外と多いと思うんです。

 

公園に集まってみんなで遊ぶことに対して,「何のために公園に集まるの?」と聞かれても公園に集まること以上のことは決まっていなくて,公園に集まって遊んでいく中で集まった意味や目的が初めて分かるんだと思うんです。その行為の目的や意味は事前に決まっているわけではなく,事後的に決まっていく。

 

そういうことを「適当だ」「いい加減だ」「無計画だ」と批判する人もいるんですけど,すべてではなくても,一部にはそういうものがあってもいいんだと思うんですよね。特に子供のためと目的を決めていっても,子供はその通りに動かないし,実際には目的や意味を事前に決めてしまうことで子供は動きづらいし,親もそれにしばられてしまうこともありますよね。

 

家で子どもが遊んでいるところを見ると,おもちゃや道具の本来の使い方をしていないことって結構多いと思うんです。料理の道具なんて特にそうで,「それってそんな風に使わないでしょ」という遊び方をする。道具というのはある目的のために作られているので,正しい使い方が存在していると思っているわけですが,子供たちが子供たちで考えて道具を使うのを見ていると,その道具の意味や目的というのがリセットされて,もう一度人間の側に戻ってきていると感じるんです。

 

最初は「○○のため」と作った道具にいつのまにか縛られ,人間がその道具に使われていないかと思うことがあります。こういう風に広げていくといろいろなことに適用できて,ネットやパソコンもそうですが,,人間が仕事などの目的のために使っているのではなくて,いつの間にか人間がネットやパソコンに使われてしまっている。ネットやパソコンがあるから仕事をしなければいけないとなるわけです。

 

確かに事前に目的や意味を決めて行動することは大切なことかもしれないけど,そうでない部分も持っていないといけないですよね。そういうのが人生における「遊び」の部分であって,その部分が多い方が人生に余裕があって楽しいのではないかなと思います。子供を持って,その自由さを外から見ていて特にそんなことを感じたんですよね。

 

意味や目的というのは自分が決めているようで,実はそれに自分が縛られている。そんな息苦しさありませんか?と,思いつつも私も意味や目的に縛られているのでした。もう少し「遊び」の部分持たないとなあ…。

 

 

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