いつか朝日が昇るまで

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「批判はされたくない」「かまって欲しくない」のにブログを公開することについて

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最近はいろいろと不思議なことが起こりまして,ブログというのは公にされているものですから,批判が返信があるのは当然なのですが,何かそうしたものを全く受け入れない,そういうことをしてはいけないみたいな感じがありまして(心が貧しいなんてのもありましたね),なぜそうなるの?という疑問ばかりです。

 

もちろん中には批判ではなく単なる誹謗中傷もあるわけですが,発言を公にしている以上,そうしたリスクは避けられない部分があります。これは誰にでも共通することですが,自分の考えや発言が常に正しいとは限りません。自分が正しいと思っていると同じようにそれは間違っているんだと考えている人が存在していることを前提にしなければいけないし,そうでなければ文章を書き,公にすることの意味が無いのだと思います。

 

最近読んだ本に「アンラーニング」という考え方出ていました。

アンラーニングとは,組織学習の研究者であるヘドバーグによって提唱された概念で,時代遅れになった知識を捨てることを指します。

(中略)

アンラーニングとは,一度固まった知識の塊をほぐし,必要のないものを捨て,知識を組み直す作業です。

(42頁)

  

「経験学習」入門

「経験学習」入門

 

 つまり,人間は自分の凝り固まった考え方をすてることで,人間的な成長がなされる。そのためには他者からの的を射た批判というのは大変有意義に働くものです。もちろんそこのは多くの的外れな批判もあるわけですが,そういうものを踏まえても批判は大切だし,必要でしょう。

 

 経験から学習する能力についての過去の研究においても「批判に対してオープンである」ことが重視されています。批判にオープンであるということは,批判を無批判に受け入れることではなく,批判されていることの本質をつかみ,自分の行動を修正することです。

 経営学者のヤノーは,「自分が正しいという熱い思いを持ちつつ,自分が間違っている可能性についても考える傾向」を「情熱的謙虚さ」と呼んでいます。(前掲書・98頁)

 

こうした前提がなければわざわざ文章を公開する意味というのはないでしょうし,自分が変わる可能性というのは無くなっていくでしょう。それは歳を取ってくるとますます多くなりますし,増してや若い時からそういう状態だと将来も危ぶまれます。

 

「よき師を見つけるためには,本音で話すことです。本音で語らないと相手も本音で話してくれません」(前掲書・151頁)

 

そもそも相手に対して関心も何もなければ無視するだけです。批判されるということはそれだけ相手を本気にさせているということなのだとも思うのです。

 

「批判されたいのではなくて,同じ考えの仲間が欲しいのだ」という考えでブログを始める人は多いのかもしれませんが,賛成意見もあれば反対意見もあります。もし心地よい賛成意見だけの集まりを求めているのであれば,facebookや他のSNSに移行すべきでしょう。ブログサービス,すくなくとも「はてな」はそうした「集まり」には向いていないでしょうね。