いつか朝日が昇るまで

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妻のために子育てして何が悪い?

土日はお父さんが公園に連れていく。私も何度もその光景を見ました。本当に子どもと遊ぶのが好きで公園に来ているお父さんもいれば,公園に連れてきても携帯ばかり見ている人もいます。普段は奥さんが子どもを見ているのだから,週末は旦那が見るようになっているのかもしれません。

 

「妻は大変だから」「男も育児『参加』しないと」と深い理解を示し、まじめに、ひたすら妻を助ける夫。……育児を夫婦で共にやるっていうのはこういうことだったのだろうか?

 

妻が、そういう「言われたとおりに動く夫」を求めているのかといえば、たぶん、そうではない。夫の気持ちがもし、妻へのサービスと義務感のみで満たされているとしたら、心情的には、なんだかすごく残念だ。むしろ、なんだか嫌だ。

 

「妻が大変そうだから代わりに子どもを公園に連れて行かなきゃまずいなぁ……」ではなく、「子どもが遊び足りなさそうだからオレが公園に連れて行こっかなぁ……」であって欲しい。

 

 

何が必要なのかは、妻の顔でなく子どもの顔を見て判断する。そういう当事者意識が、たぶん、一番欲しい。

がんばる夫たち ~その育児は「妻」のため?~ : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

 

たぶんそれが理想なんでしょうけど,ほとんどは奥さんのためだと思いますよ。子どもとずっと遊ぶのは大変なのは奥さんと同じです。その大変さが分かっているから,奥さんのために公園へ連れ出す。特に問題があるとは思いませんが…。

 

瞬間的に公園全体の8割を占めるほど、夫たちは育児の現場に出てきている。夫婦双方が、互いに仕事に使う時間を調整して、育児に時間を割く工夫をしはじめている。

 

でも、せっかくここまできても、夫のがんばりが妻に向き続ける限り、本質的に「母親が育児の中心を担う」構造は変わらない。

 

手足のごとく言ったとおりに動いてくれる夫こそが求めていた姿!ということなら、そのままでいいのかもしれない。でも、もし、夫が「当事者として育児する」ことを期待するなら、次に変わらなきゃいけないのは、もしかすると、妻の方だ。

 

妻自身も、「母親が育児の中心を担う」という意識に根深く縛られている、ということを自覚するのが、きっとスタートになる。

 

「別に私は自分が育児の中心だなんて全然思っていないんだけどっ!」……と、自分としては思う。でも、「夫に任せると心配」「自分でやった方が早い」「そのやり方は許せない」……ついそう思うのは、「自分の方が育児のプロなのだから勝手なやり方をするな」「侵入してくるな」と、堅く門を閉ざしているのと同じことだったりもするのだ。

 

自分が正解でなくていいはず、と門を開き、夫のやり方を否定しない。そうしない限り、夫は「妻のために」動き続け、育児の中心は妻のままだ。

 

 

門が開きそうなら、夫も「わからないから……」と思考の放棄は無し。妻の顔色ではなく、子どもを本気で観察する。

 

ここら辺の論理展開がよく分かりません。夫が妻のために育児をするというのは当事者性にかけ,妻の育児を「手伝っている」という意識から抜けられないということなのでしょうけど,妻のために育児を手伝うことが子どものことを見ていないことにはならない。妻が一番で子どもが二番ってダメなんですか?そういうこともありでしょ?つまりこの記事の主張は子どもか妻かどちらが一番かを選ばせているんです。

 

夫の意識がダイレクトに子どもに向かい、夫婦が精神的に対等に育児をすること……それが、双方にとって本当により快適な状態になるのか、正直わからない。

 

でも、妻のためじゃなく、子どものために育児をした方が、絶対面白い。それだけは確かだ。

 

 

そこには、この上ないうれしさも、驚きも、感激も、そして、とてつもないイライラもある。それ全部まるごと、育児の醍醐味なのだから。

 

妻のために育児していても子どものためになるし,子どものことを考えてますよ。だってゼロかイチかではないですもの。最後にどちらが最適か分からないが,子どものための方が絶対面白いとあるけど,何でなのでしょうねえ。妻のためにと思って育児をした方が,妻の大変さが分かると思うんですけど…。それに子どもはいずれいなくなりますけど妻とは老後も一緒にいるんだから大切ではないですか?違ってますか?

 

 

夫は犬だと思えばいい。

夫は犬だと思えばいい。