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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

研究を続けるということ~もはや病気だね

以下のブログを読みました。修士課程在籍生が研究への情熱をなくしたと言っているのですが,これは博士課程に進学する前に気づいて良かったねとむしろ肯定的にとらえるべきです。なぜなら彼は以下のようなことを書いているからです。もちろん,彼は理系,私は文系ですので,そもそも考え方が違うのかもしれないという前提で私が気になった点を書きます。

 

 良いフィードバックがないというのは,論文を何本書こうが学会に何回出席しようが,また研究室にいくら貢献しようが,報酬が一切無いということだ.ここで言う報酬というのは金銭の話ではなく,単純に評価されるとか,褒められるとか,そういった類のことだ.これらの事はやって当たり前で,やれなければ罵倒される.仮にやっていたとしても,「進捗が無い」などと言われてやっていないとみなされる事もある.マイナスのフィードバックしか無い状態でモチベーションを維持するのは非常に骨が折れる.僕のような承認が欲しい人間には無理だ.

本音を言えば,フィードバックサイクルを細かく回して,良かったことや悪かったことをこまめに振り返りたい.人間,そういう風に細かいスパンで評価しなければ行動への原動力は失われてしまい,やる気は萎えてしまうと思う.活動に対する評価が無かったり,常に怒られたりする環境で実績を上げるというのは不可能に近いのではないか.

 研究に対する情熱や愛が死んだ - 職質アンチパターン

 

 

研究というのは常に批判されるべきもので評価されるということはほとんどないかと思います。というのもそもそも研究は先行研究を批判して行われるべきものであり,そういう意味では自分の研究も批判されて当然なのです。また,分野に関して反応はないというのは評価する側からすれば「テーマが悪い」と言われて終わってしまいます。残念ながら…。

 

私も結構叩かれましたよ。「この論文にはがっかりだ」と言われたこともありますし。でも「お前に分かってたまるか」ぐらいのことは思っていました。ちょっと恥ずかしいけど。

 

ただ世の中って見ている人は見ていて地道に研究していると目に留まることってあるんですね。そういうことが実際にありました。ですから,世に出し続けることには意味があることではあります。

 

でも彼はアカデミックな雰囲気が嫌だと思うに至りました。実は頭が良い人はそういうアカデミックな雰囲気が嫌で博士課程に進学しません。これは利口な生き方です。このように感じたことを肯定的に捉えて,ぜひ卒業後の人生を頑張ってほしいものです。

 

それでも研究を続ける理由とは…

 

「社会を少しでも変えたい」

 

これにつきます。「研究者が社会を変えることなどできないだろう」と各方面から言われそうですが,少しでも社会を動かせるような論文書きたいと常に思っています。それが社会科学の使命だと。もちろん,まだ実現していません。

 

はっきり言って研究を続けていくというのは厳しいものです。これはたとえ大学で専任教授となっても同じでしょう。それでも続けていこうと思えない人は研究職は目指すべきではないでしょうね。普通に就職した方が稼げます。

 

金も名声もありません。でも研究しないと落ち着かない…。もっとこういう社会になれば…。これは病気です。実際,大学院に入ると「入院,おめでとう」と言われますからね。

 

実際,私は現在,仕事をしていてなかなか研究を継続的にできない状況ではありますが,なんとか生きながらえて良いものを世に出したいと思います。もし研究を頑張られている方がいれば,ぜひ頑張ってください。みなさん,死ななければ研究できますよ(笑)。