いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

子育てが「業務化」するといけないの?

「業務化」する子育てという記事がありましたので,内容を紹介したいと思います。子育てが業務となっているという話で,業務として悩むよりも子育ては日常の側にあった方がいいという内容です。ただ,これ,業務の方が気が楽な部分もあるというのを忘れているのではないかな?


「業務化」する子育て 〜母親という職務を遂行する女性たち〜


引用
■「母親」という業務の遂行


「自分が選び取った」子育ては、「仕事」と同等の存在になりやすい。

出産すると母性が出て本能的に育児ができる、なんてことはないと思う。
実際出産しても、そんなものはちっともにじみ出てこなくて、その代わり、巨大な「母親」という肩書きと社長級の責任が降ってきた気がした。

出産直前までやっていた仕事から、今度は「母親」に職種変更。その職責を全うしようと全力で努力し始める。

業務に必要な情報は熱心に集め、真面目に勉強する。

「公園に連れて行くのめんどくさいなあ」と思うのは、仕事をさぼろうとする駄目な自分。公園に毎日連れて行けば「自然を感じながら五感を育む機会を作る」という「価値ある業務」を遂行できていることになる。

「離乳食を"工夫"して作る」「"決まった時間"に寝かせる」……が毎日できないと、自分の目標達成率が十分でないことに、焦る。

何かにつけて「本当は○○すべきなんだろうけど……」と思うのは、自分が「評価に値する業務」をこなせていないという不完全感に襲われているわけで、「最近のお母さんはマニュアルがないと不安」とか、そういうことでは決してない。

こんな風に仕事の論理で挑むから、上司の評価や実績の明示もなく、あらゆることがぼんやりとしていて成果の見えない育児の現場は、とてつもなく張り合いが無い。

それがしんどさを生む。頑張りすぎる。考えすぎる。反省しすぎる。


■育児は「日常の側」にあっていい


子育ては特別な業務ではなく「生活の一部であり日常の延長」、と思えれば楽になる気持ちが、たくさんありそうだ。いちいち「仕事のできない駄目な自分」に焦る必要も無い。

家族がひとり増えただけ。増えたメンバーと一緒に生活をすればいいだけ。その新メンバーは小さすぎるから、できないことを代わりにやったり、知らないことを少しずつ教えたりは、する。

そんなふうにシンプルに思うのが意外と難しい。


―― 子どものおもちゃの宣伝が言う。

「ひろーいおうちでメルちゃんを『お世話』しちゃおう!」

あぁ、そういう、きらきらしたピンク色の「イベント」でもなくていい……。


育児は、もっとべたついて、ほこりっぽくて、汗くさくて、ちょっと汚くて、たまらなく凡庸で、単調で、ひどく頭にきて、でも時々限りなくうれしくてたまらない、そういうごく普通の抑揚のない生活の一部でしかなくていいはずなんだ。

「オセワ」というラベルをはがし、「母という肩書き」を捨てたら、きっとちょっとだけ何かが楽になる。


仕事であると割り切ることで付き合えるということもあると思う。イヤイヤ期が日常だと感情的にもなり,時には手が出てしまうことがあるでしょうし。


例えば保育士さんに聞くと,あれだけ子供に落ち着いて接していられるんだから,自分の子供にも同じようにできるのだろうと思うのですが,どうやらそうではないようです。やっぱり,自分の子供にまともに付き合うと感情的にもなってしまうようです。


さらに家で子育てという仕事をしているという意識をだんなさんと共有できるとだんなさんの育児に対する理解も深まるのでは?家にいて楽だよねと思っている人もいるので。


確かに,日常の側にあった方が気が楽になる人もいますが,仕事だと考えた方が楽な人もいることも忘れないでほしいですね。