いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

そもそもこの記事のタイトルが中身を反映していない件について

以下の記事を読みましたが,冒頭の部分でこの内容を「承認欲求」と結びつけるのは無理があるのでは?と思ってしまいました。さらにその内容だとしたらこのタイトルは一体…と思ってしまいます。

 

 今回は、スマホの登場によって、人々がニュースや話題を消費する行為にどのような変化が起こり、さらにそれが承認欲求にまつわるどんな新たな現象を生んでいるのかを考えていきたいと思う。

 なぜあの人はタイトルだけ読んで記事を批判するのか 氾濫するネットニュースと「釣り記事」|認められたい私、認めてくれない社会~「承認不安時代」の生き方~|ダイヤモンド・オン

 

 

この連載は「承認不安時代」の生き方という特集で書かれているものなので,「承認欲求」に結び付けざるを得ないというのは理解できますが,うまくいっていないように思います。以下,記事内容をまとめてみますので,みなさんも考えてみてください。

 

まず一つ目の論点はスマホ登場による人々の消費行動の変化についてです。

 この「まとめ」や「ざっくり」から見えるのは、1つの話題を消費するスピードのアップが求められているという現実だ。つまり、1日中情報の通知に追われる読者が、できるだけ早く読み進めるための“情報の一口サイズ化”が必要になってきたということだろう。当連載に代表されるような、何が言いたいのか読み進めないとわからないという記事は、明らかに時代とミスマッチなのである。こうなると、タイトルだけを見て、この記事は好き、嫌いという判断で発言をする状況が生まれやすくなってくる。

 

(中略)

 

なぜWebで読む記事に対しのみ「釣り記事」批判が生まれるのか。それは、スマートフォンやPCを通して記事を読むという行為を行う際は、できるだけ迅速に事実を知りたいというニーズがあるから。少しでも早く、多くの有意義な記事を読みたい。そういう需要に「釣り記事」は反しているのだ。読者のニーズに合わない記事であれば、それは批判されるのは当然だろう。

 

タイトルを考えるとこの結論で終わりでしょう。つまりスマホ登場により,記事を消費するスピードがアップし,記事タイトルで中身を判断せざるを得なくなった。そのような中で釣り記事批判が出てきているというもの。これは理解できます。

 

しかしこの記事にはもうひとつの論点,「承認欲求」とこれを結びつける必要があるわけです。それでこの先の論理展開がいまいちよく分からないのです。全く別の内容なのでしょうか?タイトルに騙されてはいけないということを身を持って示してくれているのでしょうか?

 

正しい情報を知ることは正義につながる。かつて誤った情報によって苦境に立たされた罪のない人はたくさんいた。だから、間違った情報に対しては、正しさを教えていくことが重要である。しかし、その際、糾弾するという形になってはいけないだろう。正しさを教える人は自らの正義感に則って厳しく糾弾するかもしれないが、間違った情報を拡散している誰かも、信条を持って行っているケースが多いのだから。震災の時に、本当に正しい情報が必要な人が、無用なデマに翻弄された経験も、それを元に生まれたケンカが私たちの気分を落ち込ませたことも、決して忘れてはならないのだ。

 

 

 「自分が正しいと言いたい」「自分が正しいと思いたい」というのは、短期的な承認欲求の発露である。そこに固着するのではなく、大局観的に見てどのような行動や言動が人々を幸福にするのか、僕を含め皆で考えなくてはいけない。

 

結局のところスマホ登場と承認欲求がどうつながっているのか分かりません。「釣り記事」というのは意識的に釣っているわけですから,「自分が正しいと思いたい」わけではありませんので,こういう流れで承認欲求と結びつけることはできません。

 

ですから最後の「自分が正しいと言いたい」「自分が正しいと思いたい」というのはデマを信じて流す側の話をして,スマホの登場によって記事の内容をよく精査しないようにしてしまっているので,そのデマの拡散を助長している。それって承認欲求だよねという話でしょう。無理筋でしょう…。

 

 

 *釣りに関しては以下の本を読んだ方が役に立ちます。