いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

「不運を分け合う」こと~偶然にどう対処するか

f:id:gerge0725:20140527111148j:plain

 

確率論はやろうと思って,ほとんどやっていないのですが,以下の本,竹内啓先生の本は確率論で偶然は克服できないとしており,大変面白い本です。では私たちは偶然にどう対処したらいいのでしょうか?

 

 

偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)

偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)

 

 

 人は生きていく中で,多くの偶然に影響されないわけにはいかない。その場合,事前になるべくくわしく確率を計算し,いろいろな状況のもたらす効用を推定して,期待効用が最大になるように行動することが合理的であるとは言えるだろう。また保険のような制度を利用して,大きい「不運」に襲われたときその損害をなるべく小さくするよう努力することも必要である。

  しかしそれでも人は「幸運」や「不運」に遭遇することは避けられない。…事後に結果としての「運」「不運」をどのように扱うかは,事前にそれをどのように処理するかとは,また別の問題なのである。(164頁)

 

(中略)

 

「不確実性の下における意思決定の理論」に基づいて,確率や「期待損失」を最小にすれば,それで問題が終わりということではない。それは事前の合理的な行動の指針を与えるものであっても,小さい確率の偶然という「不合理」,あるいは少なくとも「不条理」なことが起こってしまったときの事後処理については,何の指針も与えるのではない。(176頁)

 

偶然というものは偶然であるがゆえに常に起こりうる可能性があります。そのような偶然が起こった時,我々はどう対処すべきなのか。特に「不運」は多くの「不幸」を招く場合があります。しかしそれに対してどうすべきかは確率論の範疇ではないでしょう。

 

 幸い人間は,個人の感覚的欲望の世界にだけ閉じ込められているわけではない。人間は想像力や感受性をもち,現在の感覚の世界を超えて,外の世界を想像したり,あるいは他の人の心に共感したりすることができる。それは現実の世界における「偶然の専制」から逃れる方法である。(167頁) 

 

つまり人間の「想像力」がとても重要で,それによって「偶然の専制」に対応すべきだとしています。

 

 想像力はまた人が個人の経験の限界を超えて,他人の経験を理解することを可能にする。そこから他人に対する共感も生まれる。他人の「幸運」を喜び,「不運」に同情する気持ちも生まれる。ときには他人の「幸運」に対する妬みも起こるかもしれない。また,ともに大きな災害,すなわち共通の「不運」にあった人々は,苦難を切り抜けるために協力し合う中から強い連帯感を持つようになるかもしれない。人々は想像力によって「運」や「不運」を分かち合い,またそこから生まれる喜びを強め,不幸を軽減することができる。(186頁)

 

確かに人は想像力によって「運」や「不運」を分かち合い,喜びを強め,不幸を軽減できるかもしれません。しかしここ最近起こっていることは「想像力」と「分かち合い」の間にかなりの距離があることを示しています。

 

東北の震災に関して「想像力」を働かせた結果,それが「分かち合い」ではなく「反感を買う」ということが多く見られました。「個人の欲望」のみを前提に経済を考えていけないのと同様,「個人の想像力」のみを前提にした「分かち合い」もまた考えられないのです。

 

個々の「想像力」をどう「分かち合い」に向けていくのか。これは本書の目的ではありません。しかし,今後ますますこのような問題は起こってくるでしょうから,そのためにどうしていけばよいのか,考えていかなければならないと思います。