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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

親の謝罪で子どもを傷つけることもある

子育て

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以下のエントリーを読みました。ブコメでも多く書かれていますが,この文章を読むと「故意でなければ謝らなくてよい」と読めますね。

子どもに「謝りなさい!」と言っていませんか? - スズコ、考える。

 

それで以前,ある本で読んだのですが,以下のような話がありました。

 

A:手が滑ってコップが割れてしまった

B:壁に投げつけてコップを割った

 

すぐに分かると思いますが,Aは故意ではありませんが,Bは故意に行われたものです。「日本人というのはAもBも謝罪する。そうやって責任を引き受けていくのだ」というのが筆者の主張だったと思います。それに対してアメリカはBしか謝らない。Aは故意ではないのだから自分には責任がないという立場です。

 

こういう議論もあるので,Aは謝罪しなくてよくて,Bだけ謝罪すべきという話になるのかと思ったのですが,どうやら違ったようです。AもBも謝罪する必要があるのですが,「謝らせること」そのものが目的ではないということを自覚すべきだという話だったようです。ブコメを見ればわかるようにAもBも謝るのが日本では一般的でしょう。

 

ただ私はそれが行き過ぎて「とりあえず謝る」となると,子供の立場として本当に良いことなのかと思うんですよね。AやBの場合のみ謝るのではなく,Cの場合,つまり「被害者の方も悪いことがあるのかもしれないのだから謝る」というスタンスに問題点があるわけです。

 

お父さんは私と末っ子に、私はお父さんとその男の子に、それぞれ「ごめんなさい」「すいません」と言葉を交わした。そうか、お互いそれでよかったんだなぁと。最後に声をかけなくてもよかったんだろうなと、反省しています。

子どもに「謝りなさい!」と言っていませんか? - スズコ、考える。

 

これは「反省」から来たものではなく,形式的な謝罪であるとするわけですが,それは大人にとってはそうであっても,子どもにとってもそのように受け取られるわけではありません。実はこうした「謝罪」というのは「うちの子も悪いんだから」となり「いじめられる子どもも悪い」に繋がる可能性もあります。

 

かつて私はいじめられていました。保育園の時,いじめっ子にプロレス技をかけられて出血したことがあります。本来,プロレスの技をかけられて出血したら一方的に何かされたことを疑うはずですが,私の親はそうではなく,「良いですよ。遊んでいて怪我したんだから」とその場を喧嘩両成敗みたいにして収めてしまいました。私は田舎出身なので,親同士は知り合い。だからこうやって手打ちをしていくわけですが,それがその場を丸く収める大人同士のやり方だなんて言われても,子どもには理解できるわけはありません。

 

その時から私は自分の両親を全く信用していません。親が自分に非がないのに謝るというのはそういう危険性を帯びています。そこで私は自分で耐えるという選択をしました。自分が耐えれば良いのだと。だから毎日,夜寝る前に神様にお願いすることにしました。「明日はいじめられませんように」。そんなことが小学校4年生まで続きました。5年間ぐらいいじめられていたことになります。そんな状況ですので,後遺症も残り,現在に至っています。

 

いじめの後遺症~どう影響したか - いつか朝日が昇るまで

 

その後,いじめっ子が逆に無視されるという事態になり,先生にも発覚。先生はお決まりの「みんな仲良くしよう」というわけです。今まで散々いじめていたのに,何を今さらとほとんど人が思ったわけです。

 

その時,いじめっ子の親が「いつかこうなると思いました」と言ったと先生が紹介していました。それを聞いた私は「だったら止めさせろよ」ではなく,「うらやましい」と思ったんですね。親が子供のことを分かっているなんてうらやましいと。

 

学級会開いて問題が解決したことないよね - いつか朝日が昇るまで

 

こうした経験から親が謝るというのは子どもにとっては本当に大きいことなんですね。だから前述したA,Bだけはなく,Cまでも含めて謝罪されたら子供は傷つくわけです。おそらく理由はどうあれ,まずは「謝罪する」というやり方は親子関係にしこりを残すと思うのです。先に謝罪ではなく,子供同士で考える,子どもの話をよく聞くこと。そうすることで以下のことができるようになると思うのですが,どうでしょうか?

 

自分の話を真っ向から否定されること無く吐き出すことを認められた子は、自分の力で自分の過失や問題点を振り返り、反省することが次第に出来るようになっていく。周りとの関係性の中でそれを促されながら育って行くことが、最終的に「反省ができる大人」「自らを抑圧しすぎず周りに助けを求めながら生きて行くことができる大人」への道に繋がるのかもしれません。

「謝罪」と「反省」 〜昨日のつづき。 - スズコ、考える。

 

 

謝罪の研究―釈明の心理とはたらき (人文社会科学ライブラリー)

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居場所のちから―生きてるだけですごいんだ

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