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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

ブログで個性を表現するというのが間違いかもしれない

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私が小学生だった時がそうでしたが,「個性重視」というのが叫ばれ,それぞれの生徒の「個性」を大切にしましょうという教育がなされていました。生徒の側も自分の「個性」なるものがあるはずだと,自分の「個性」を追い求めて,ある人は「自分探しの旅」に出ることもあったわけです。私の大学時代の同級生にはその旅によって大学を辞めてしますなんてこともありました。

 

そうした若者たちに対して「最近の若者は~」などど批判がされていたわけですが,そうした「個性重視」の教育の責任を上の世代が担っているという意識がないように思え,私はかなり反発していました。こうした若者批判の構図は今も変わっていないので,相変わらず嫌いです。

 

こうして日々問われ続けた「個性」ですが,実際に「個性」なんてものを表現しようとすると,「人と違う」ことこそが「個性」だと勘違いし,「人と違うこと」を表現することに重きが置かれているように感じます。そのためには自分を偽ったり,大きく見せたりし,時に炎上することで「個性」が表現できているとするわけです。以下の記事はその典型ですね。

日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか 女の言い分、男の言い分:PRESIDENT Online - プレジデント

 

それならば「個性」はどう表現すればいいのかという問題になるわけですが,そもそも「個性」を表現するという発想が間違いなのかもしれません。

 

以下の本。ベストセラーにもなりましたが,改めて読んでみると「個性」に関して面白いことが書いてあります。

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 

ますT・S・エリオットの以下の言葉を引いて,「個性」について一石を投じています。

詩人はつねに,自己をより価値のあるものに服従させなくてはならない。芸術の発達は普段の自己犠牲であり,不断の個性の消滅である。芸術とはこの脱個性化の過程にほかならない。(54頁) 

 

ようするに

詩人は自分の感情を詩にするのだ,個性を表現するのである,という常識に対して,自分を出してはいけない 

 とするわけです。しかしだとするならば,個々の表現の差は一体何になるのか,また個性はないのかという疑問が生じるでしょう。それに対しては以下のように説明されています。

 酸素と亜硫酸ガスをいっしょにしただけでは化合はおこらない。そこへプラチナを入れると化学反応がおこる。ところが,その結果の化学物の中にはプラチナは入っていない。プラチナは完全に中立的に,化合に立ち会い,化合を起こしただけである。

 詩人の個性もこのプラチナのごとくあるべきで,それ自体を表現するのではない。その個性が立ち会わなければ決して化合しないようなものを,化合させるとことで,”個性的”でありうる。(55頁) 

 

文章を書くという作業もこれと同じで,私達がやっていることは「触媒的創造」であり,それは”個性的”ではあるけれども,個性を表現しているということではありません。

 

新しいことを考えるのに,すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。無から有を生ずるような思考などめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって,新しいものが生まれる。(56-57頁) 

 

文章を書き続けること,ブログを書き続けることの難しさがよくテーマになっていますが,ブログが続かないというのは「無から有を生ずる」かのごとく,自分の個性を表現しようとしているのではないでしょうか。

 

ものを考えるに当って,あまり,緊張しすぎてはまずい。何が何でもとあせるのも賢明ではない。むしろ,心をゆったり,自由にさせる。その方がおもしろい考えれ生まれやすい。さきのような意味で没個性的なのがよいのである。(57頁) 

 

こうした考えを突き詰めていけば「発想がおもしろい」というのも以下のように考えることが可能です。

 

発想のもとは,個性である。それ自体がおもしろかったり,おもしろくなかったりするのではなく,それが結びつける知識・事象から生れるものがおもしろかったり,おもしくなかったりするのである。発想の母体は触媒としての個性である。(58頁)

発想のおもしろさは,化合物のおもしろさである。元素をつくりだすことではない。(58頁)

 

「おもしろい発想をしなければならない」と自分の個性を表現しようとすればするほど,実はおもしろくない発想になっていくか,ただの炎上商法になっていくのかもしれません。文章を書くというのは「触媒」に徹すること。その結果,”個性的”な文章が出来上がる。そこでできあがった化合物である文章がまた他の人の触媒によって別の化合物へと作り変えられていく。そうした繋がりこそ文章を書く醍醐味であり,ブログを続けていく面白さかもしれません。そういうことを楽しめれば,ブログはつづくのかもしれませんし,”個性的”なブログになっていくのかもしれませんね。