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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

丸山眞男と被爆体験〜当事者意識を表現することの難しさ

丸山眞男生誕百年ということで現代思想が特集号を出しています。私は吉本よりも丸山の方が好きで、これぞエリートだなと思っていたわけですが、そんなことを全共闘世代の人に言った時にはかなりの批判の眼差しが向けられたわけです。正にそうしたらエリート主義こそが彼らの批判対象であったわけですから。

 
しかしエリートであった丸山眞男は広島で被爆をしています。そうした所からも戦争や核兵器に対する想いはかなりのものがあったと推察できるわけですけれども、あくまでも学問的な分析に止めています。ただそこには葛藤もあったというのが上記の現代思想における川本・苅部両氏における「丸山眞男を問い直す」で議論されており、大変面白いものでした。こうした戦争体験と学問との葛藤というのは何も丸山眞男だけではなく、坂本義和などにも見られるかと思います。

このブログ記事ではその中身を幾つか紹介していきますが、大変申し訳ありませんが孫引きになります。学問的に引用される場合は原典を当たっていただくようお願いいたします。
 

まず世界1965年10月号での発言が戦争に関する初めての発言だそうです。

ああ俺は生きているんだなとフト思うにつけて、紙一重の差で、生き残った私は、紙一重の差で死んでいった戦友に対して、いったいなにをしたらいいのかということを考えないではいられません。「丸山眞男を問い直す」(43頁)

 

しかしこうした体験をどう学問的に生かしていくのか、またどう学問的な議論していくのかは丸山自身も難しかったようです。それが鶴見俊輔さんとの対談で述べられています。私は鶴見俊介ファンですのでまた別の記事を書きたいと思います。

いま顧みて、いちばん足りなかったと思うのは、原爆体験の思想化ですね。私自身がスレスレの限界にいた原爆経験者であるにもかかわらずね。「前掲書」(43頁)

 

そしてなぜそうなってしまったのかの理由を中国新聞のインタビュー(1969年8月3日)で語っています。

そのうちの一つは、やはり、その後に、原爆に引き続いて日本の降伏、アメリカ軍の上陸、日本軍がどうなるかわからないという、そういう事態が踵を接して輻輳してきましてね。そちらの方に注意が奪われちゃったのですね。(第2に)[母の訃報の]ショックでもって、原爆それ自身のことを、私に考えさせなかったということがあるんじゃないかと、今から(すれば)思うのです。それと、人間というのは、悲惨とか、むごたらしい光景というのに無限に深い不感症になる。「前掲書」(44頁)

 

ただこうした理由はどこか原爆を直視しないようにしていたと感じますね。こうした態度が吉本に批判されていたのでしょう。またこの後「被曝者ヅラするのがいやで、今もって原爆手帳の交付をしていません」(44頁)と述べている箇所もあり、被爆者という立場を認識しつつも被曝者一般を代表することはできないという認識が丸山にはずっとあったということです。

こうした丸山の立場に対して川本さんは石田雄の言葉を引用して以下のように述べます。

各個人に深刻な体験を理解することの難しさを考えることなく、安易に被害者と同一化したり、その意見を代弁できると思うことが「他者感覚」の欠如となる危険性を警戒したものでもありました。「前掲書」(47-48頁)

 

つまり他者を勝手に代表することで「他者感覚」がなくなってしまうという意識があったので、被爆者ではあるけれども被曝者一般とは距離をとってきたのではないかということです。それに対して苅部さんは以下のように述べます。

強引に結びつければ、原爆投下をみずから体験したからこそ、現代の主権国家が持つ軍事力の恐ろしさを所与の条件として、その権力を相対化してゆくことが平和のために不可欠だとする思想を導き出したのではないでしょうか。「前掲書」(48頁)

 

これはちょっと好意的に捉えすぎている感はありますが、当事者もしくはその支援者が被災者全体の意識を代表してしまう危うさというのは今回の東北の震災でよく分かったかと思います。かといってその「他者感覚」の欠如を恐れるあまり、丸山のように被曝そのものに対して積極的に発言しなければ、「広島には毎日原爆が落ちていると語った丸山が、残留放射能原爆症の「恐怖」を身にしみて感じたであろうことはほぼ確実でしょう。そうした実感や直観を歴史や社会に関する理論とフィードバックさせながら、もう少し言語化してほしかったという憾みがあります」(48頁)という川本さんの意見が出てくるのも当然です。

戦争体験者や被爆者が少なくなり、戦争や原爆についての生の声が聞けなくなる時もそう遠くはありません。こうした体験を記録として残すだけでなく、学問的にどう位置づけ生かしていくのか。これは丸山が私たちに残した、あるいは残してしまった大変な課題なのかもしれません。そうした課題を踏まえつつ平和とは何か、そしてそれはどう実現させるべきか、私も考えていきたいと思います。
 
 

 

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1)

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丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

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