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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

皆それぞれ辛いことがありながらも生きているという話

考え方 研究

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朝日新聞文芸時評に以下のような記事が書かれていた。最近の文学の流れだそうだ。

 

それにしても、高学歴者や高学歴を目指して挫折し煩悶(はんもん)する者の出てくる小説が、新人の作に目立つ。京大中退者、学者、大学院浪人生。書き手の世代的経験と関係がありそうだ。1990年代には知価社会という言葉がはやった。これからは物より知識が富を創造する。高学歴者が多ければ多いほど国は豊かになる。大学院も拡充された。しかし、この国策には問題があった。高学歴者の働き口が不十分。博士になっても正規雇用されないポスドクと呼ばれる人々の存在が、社会問題化して久しい。もちろん修士などにも浪々の人は多い。小説家予備軍もそこに大勢いるだろう。とにかく高学歴者が鬱屈している。破壊に走るか。逃避するか。そこから回心するか。言わば「ポスドク文学の時代」が来ているのかもしれない。 

 (文芸時評)高学歴者の鬱屈:朝日新聞デジタル

 

ポスドク文学の時代」だって?まあ私の場合単位取得退学組なので,ポスドクには当たらないのだけど「高学歴なのに…」みたいな言説って最近目立っていて気にはなっている。「高学歴者が鬱屈している」とあるけれども高学歴でない人も鬱屈しているわけでそこを特別視する必要性を感じない。「破壊」「逃避」なんてそんなたいそうなものではない。

 

だからといって以下のような記事を書くと上記の引用にもあるように「政策の問題」という批判が必ずあるわけで,そういう批判には首を傾げざるを得ない。なぜならほとんどの人が博士課程に進学する時に「職はない」と言われているからで,それでも進学していると思うからだ。

 

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こうした現状を知っている自分としては「高学歴なのに…」と悲劇的に書くというのはどうかと思うし,そうした文学がこれからも流行してひとつの時代を築くとは思えない。まあ,私は文学を研究しているわけではないので,間違っているのかもしれないが。

 

人間というのは学歴なんて関係なくただ生きているだけで辛いことや悲しいことが訪れる。その大小はひとそれぞれだけれども,突然の不幸がその人に訪れることもあるし,自分自身のトラウマを抱えて生きている人たちも多くいるだろう。実際にはそうした日常の悲しい出来事をそれぞれの人が乗り越えている,またはそうしたトラウマと戦っているということこそ重要なのではないかなと思う。特に東北の震災はそうしたことを強く感じさせるものであった。

 

私は文学をそんなに好きで読んでいたわけではないけど大学時代は宮本輝の作品をよく読んでいた。オススメは以下の本。ぜひ皆さんにも読んでもらいたい。

 

星々の悲しみ (文春文庫)

星々の悲しみ (文春文庫)

 

 

宮本輝の作品というのは不幸を悲劇的に描かない。あくまでも不幸は日常の一部。そうした日常をただひたすら生きていく。そんな文学こそを自分は読みたいと思う。著者自身も以下のように述べている。

 

 -最後に、作家として自身を奮い立たせるものは何かを教えてください。

 「小説を書く一番の原動力は、いろいろあるけど生きよう、頑張ろうという生きる喜びを読む人に与えたい。その代わり書くものが喜びにあふれているかというと、それは別物だが、根本の動機は変わらない。人間が地獄に落ちるようなことを芸術の美として礼賛するような小説は死んでも書かない」

 宮本輝氏インタビュー 「生きる力」 [大阪発 羅針盤] - 大阪日日新聞

 

筆者自身,パニック障害になったけれども死のうとは思わなかった。そうした辛い経験を抱えながらも生きていくという「強さ」みたいなものに自分も魅かれたのかもしれない。

 

人間というのはとかく「なぜ自分ばかりこんな不幸な目にあうんだ」と思いがちである。しかし,実際にはどんな人にも不幸は訪れており,そうした中で生き抜いている。自分も「生きる」ことに拘っていきたい。そして同時に「生きる力」を少しでも苦しんでいる人に与えたい。そんな人間になりたいと思う。