いつか朝日が昇るまで

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祖父と結婚、家族についての話

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Androidアプリが出たのでアプリ使って書いています。いつもパソコン使っているのであまり使う機会はなさそうですが、とりあえずお試しで(でもやっぱり最後はパソコンで確認しています)。
 
そんな話はこのエントリーとは全く関係がないので、そろそろ本題に入ろうかと思います。
 
以下の結婚に関する増田を読みました。何でもそうですが、物事にはメリット、デメリット両方あり、人によってはメリットが多く、「結婚最高!」と思う人もいますし、デメリットが多い人はこの増田のように「結婚なんてしない方が良い」となる人もいるでしょう。
 
ただ結婚生活と言うのは継続していくと、とても長いものになるわけですから、結婚が良いか悪いか、事前にもしくは結婚生活をしている間には分からないのかもしれません。長い独身生活で自由を謳歌していた人が結婚して,自由を制限されると「結婚なんてしなければ良かった」と思うのかもしれません。私の場合,独身生活は長かったのですし,もちろん結婚生活では妻も私も制限されることがあるわけですが,それでも結婚しなければ得られないものもあるよねと思っています。今回はそんな話をしたいと思います。それは私の祖父の話です。
 

 

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私の祖父は大正生まれでもうこの世にはいません。戦時中は海軍に属し、機関銃を持たされて前線で戦っていたようです。右の目の下に傷があり、「どうしたの?」と聞いたら、「相手に射たれた。もう少し弾がずれていたら死んでいた」と言っていました。その時祖父が死んでいたら、私も産まれなかったかもと思うと何とも不思議な気持ちになります。
 
戦争が終わり、祖父は生きて帰ってきて幼なじみの祖母と結婚。当時はお見合いが主流ですから恋愛結婚ではありません(ただ祖母が死んだ後にアルバムを整理していたら女の人が写っていて「これだれ?」と聞いたら「彼女」と答えていました。今となっては永遠の謎です…)。そして私の父親が産まれた訳ですが、仕事は駐車場の警備員だったらしく、仕事が早く終わると飲んで帰って来るという、当時から飲んだくれでした。祖母はいつも働いていてそれはもう大変だったことでしょう。
 
そんな祖父ですから、家族やら結婚やら真剣に考えることもなく生きてきたわけです。さらに私の父親と祖母の相性が悪い。いつも喧嘩が絶えず、一度殴り合いの喧嘩になったこともあります。私は何も出来ないので二階でただただ喧嘩が終わるようにと祈るだけでした。
 
そんな感じでしたので我が家は家族と呼べるものではなく、私も早く家を出たいと考えていました。そんな家族に訪れた大きな事件。それは祖母の死とその後の遺産争いでした。私との父の弟が祖母の遺産を要求。家まで渡せと言ってきたわけです。そんなことがあって私の母は激やせしたわけですが、家族というのは不思議なものでそれをきっかけに家族はまとまり始めます。
 
まず引きこもりの弟が働き始めます。そして私が結婚。そういう祝い事は家族の一大イベントですから、祖父も私の父親と喧嘩しなくなりました。その時撮った写真が祖父の遺影になっています。
 

 

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残念ながら祖父は曾孫の顔は見られませんでしたが、一度横須賀に連れていって三笠を見せてあげたら、背筋が伸び、ものすごく足早に中を見学していたのが良い思い出です。
 
そんな祖父が突然亡くなる何日か前に私の母親に次のように言ったそうです。「家族って良いなあ」と。祖母が生きているときは「お前らに世話になったことなどない」と私の母親に言っていたのに。
 
祖父は80歳近くになってやっと「家族って良いなあ」と思えたわけで、それまでいろいろ大変なこともあったでしょう。でも死ぬ前に「家族って良いな」と思えたら、それだけで結婚して家族になる意味があるんじゃないかと思うわけです。私も最後に「家族って良いなあ」と言って死ねたら。そんな風に思ったという話でした。
 
 
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