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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

約20年間バイトしてみて気付いたことを書く

考え方

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以下のシロクマ先生(p_shirokuma)の記事を読みました。こうした意見に対して「観測範囲の違い」という批判はよくあるわけですので,私が書くことも「観測範囲の違い」で片づけられる可能性はあるわけですが,今まで長々とアルバイト生活を送ってきたので,その中で気付いたことを書きたいと思います。当然,私が生きてきた狭い範囲の話ですので,批判はあるかと思います。ちなみに私の弟は愛想が悪くて引きこもりにもなりましたが、現在工場で働いているので、そういう方たちが消えてしまったとは思っていません。

 

シロクマ先生(p_shirokuma)の記事の論点は以下のツイートから始まります。

 

[https://twitter.com/twit_shirokuma/status/531075698593501185:embed#「どこの業種に行っても優秀なやつばかり見かける。コンビニ然り、公務員然り。昭和の頃より皆テキパキ動いていて、愛想も良くて、意外と応用も利いている」 時々、これが恐ろしいことのように思えることがある。じゃあ、テキパキしてない奴、愛想の悪い奴は一体どこへ行ったのか?] 

 

また文中でも以下のように指摘しています。

 

  インターネットのあちこちに吹き溜まっている怨嗟の声に耳を傾け、精神科の診察室で遭遇する適応障害に該当する人々の苦境をみる限り、本当は、要領の悪い人や無愛想な人、不器用な人が消えてしまったわけじゃない事はわかっている。にも関わらず、そのような人達が気持ち良く働けるポジションが社会のなかであまり見当たらないのは、とても、怖ろしいことのような気がするのだ。
 
 労働者の質が高くなり、サービスや品質が向上するのは素晴らしいことだが、そうした向上が人間の切り捨てと排除に基づいて成立しているとしたら――それは悲しいことだと思う。そういう意味では、実のところ、昭和時代の社会のほうが、現代社会よりもマシだったのかもしれない。まあ、昔には昔の悲惨があり、例えばコミュニケーション能力の一環として暴力が幅を利かせる時代でもあったわけだけど。ただ、テキパキしていない奴、愛想も要領も悪い奴でも働ける社会だった、という点では今よりもマシだった。

  


テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの? - シロクマの屑籠

 

つまり先生の記事のタイトルにもあるように「テキパキしてない人,愛想も要領も悪い人」をあまりにも見かけなくなったというのです。こうした変化は社会の変化によって起こされたとも考えられます。例えば本田由紀さんはハイパーメリトクラシー(超能力主義)という言葉を使って以下のように言っています。

 

──ハイパーメリトクラシーは必ずしもいい面ばかりではない。

そう。いろいろな悪い面がある。第一、そういう人間力的なものをどうやって測るのか。バシッとした物差しはない。計算の正確さや記憶力といった知力であれば、ペーパーテストで測れるのに対して、人間力や当意即妙な機転の利かせ方、それこそ愛嬌といったものは関係性の中で現れる。いわば評価する側によって勝手に決められてしまう。評価される側からすると身ぐるみ剥がれて、まな板の上に載せられているようなものだ。これまでのメリトクラシーに比べてずっと苛烈。それがないと見なされたときには、根こそぎ否定されることにもなりかねない。

たとえば就活自殺や就活うつが指摘されている。就職活動の中で何十回も就職試験に落ちるうちに自分が全否定され、まったくダメなやつとの烙印を押されたと考えるようになってしまう。逆にハイパーメリトクラシーの下でうまく振る舞える人間には、育ちや経験、幼い頃からの人間関係が反映されている。経済的、文化的、さらには人間関係に恵まれている家庭の子が人間力的なものを身に付けやすい。それだけ、不平等の促進にもつながりかねない。

  


“超”能力主義が日本社会を覆う | Books Review | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

 

つまりコミュニケーション能力のないものは「根こそぎ否定」され,「ダメなやつ」という烙印を押されてしまうというのです。これはその結果,シロクマ先生がいう「テキパキしてない人,愛想も要領も悪い人」があまり見られなくなったのかもしれません。

 

私自身の実感としてはすでにアルバイトの段階で働く意欲を無くさせるようになっているのではないか,アルバイトがすでにハイパーメリトクラシーを要求されているのではないとかと思えるのです。というのも,塾業界は三年離職率がかなり高い業界ですが,私の周りの正社員は離職した後に再就職できているんですね。だから正社員としてそうした「テキパキしてない人,愛想も要領も悪い人」というのは見かけません。これはあくまでも私の観測点での話なので,他の業界は違うのかもしれませんが、今残っている50代の先生を見ると未だにメールを使えない先生や保護者からクレームをたくさん貰う先生もいるので、以前からテキパキした、愛想も要領も良い人を採用していたわけではないとわかります。

 

しかし,学生の時にほとんどの学生はアルバイトを経験するので,「テキパキしてない人,愛想も要領も悪い人」というのもアルバイトをしにくるわけですね。でもそうした人を辞めさせる,またその人が自分から辞めていってしまうことが多いんです。今まで正社員がしていたことをバイトを含む非正規社員に追わせて人件費を削減しているという背景があって,アルバイトなのに正社員と同じことを要求されるんです。そしてそれについて行けないとアルバイトなのに「使えない」「ダメなやつ」とされていると思うのです。また、最近のバカッターの問題もあってアルバイトの行動にまで厳しく監視するようになったことも関係しているのかもしれません。だいたいこういう問題で割りを食うのは真面目に働く人ですから。

 

私は塾業界に席を置いてもう10年近くになるわけですが,その前はスーパーやコンビニなど結構いろいろなアルバイトをしていました。25歳ぐらいの時にはプールの監視員もしていましたけど,正社員はほとんど年下。アルバイトもみんな年下。特に泳ぎがうまいわけでもなく,まさに使えない監視員として働いていました。そんな私は年下の正社員にいろいろと注意を受けて動いていたんですけど,他にも当時は浪人生で体育大を目指しているのに運動ができないという若いバイトの男の子もいて,私と同じように使えないと思われていました。でも私も含め彼もバイトして働いていたんですね。あの当時はアルバイトだからで許されていたような気がしますし,正社員の側も首にしようという雰囲気はなかったかと思います。

 

今はそうではなくてアルバイトでも正社員と同じだと会社は見ていますし,お客さんもアルバイトだろうが店員には変わりはないと,正社員と変わらないサービスを要求します。そうしてアルバイトの段階で排除されてしまえば就活もうまくいかず,正社員になれないのではないでしょうか。これは今まで問題となっていたフリーター問題とは違って,景気動向は関係ないと思えるわけで,まして本人の努力でどうにかなるものでもありません。

 

フリーター漂流~成功と失敗を分けるもの - いつか朝日が昇るまで

 

私はそのままアルバイトを続け,さらに自営で仕事ができているので,なんとか社会の中で生きてはいますが,就活で失敗してそこで自分に自信を無くしてしまった人はどうやって生きていくのでしょうか。「多様な働き方」とか「ゆるい就職」とか言われるわけですが,結局ハイパーメリトクラシーが前提の働き方でしかないと思います。もしそこから脱落してしまった場合,こうした社会的な流れの中でどうやって生きていくのか,これは考えなければならない問題だと思います。私にはまだ答えがありませんが,齊藤貴義 (id:netcraft) さんはそういうところを考えてビジネスしてますね。

 

 以下の本,買いました。まずは出版おめでとうございます。内容はとても良いですし,私が知っているブロガーさんの素直な文章が書かれていてとても好感が持てます。でもみんなレール外れても違うレールを引けるんですよねえ。レールが引けない人はどうすれば良いんだろう。そういう人には誰かがレールを引いてあげないと。そんな風に思います(この本の感想は別記事で書きます)。

 

レールの外ってこんな景色: 若手ブロガーから見える新しい生き方

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