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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

読者囲い込みと不自由さについて

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以下のシロクマ先生(p_shirokuma)の記事を読みました。ネットがテレビになったということですが,実際にはもうそれは前提としてどうするのかという話になっているのではないかと思うわけです。

 

 “コミケ”的なメディアとしてのインターネットが“テレビ”的なメディアとしてのインターネットになったことで、書き手に求められる諸々は高くなって、読み手に求められる諸々は低くなった。教会のステンドグラスや国営放送のテレビ番組などが最たるものだが、不特定多数がまなざす性質の強いメディアほど、私達は襟を正して語らなければならなくなる。笑いを取る時すら、不特定多数のまなざしを意識した、そういう“やりかた”になってくる。そしてもし、不特定多数が違和感を覚えるようなアウトプットには、批判や嫌悪が集中しやすくなる。twitterでさえ、こうした構図と意識から自由ではない。
 
 このあたりが、ブログが不自由になるという感覚・ネットが不自由になるという感覚と、深く関連しているのではないかと私は思う。少なくとも、ネットが“コミケ”的だった時代を記憶している人には、そう感じられるんじゃないのかな、と。

 


ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠

 

シロクマ先生が言うように不特定多数の読者が想定されるようになったのは確かですが,そうなったのはここ最近の話ではないでしょう。それで実際にはそうした状況の中で書き手はどうするの?という話になっています。例えば以下の話。

 

 実際、グルメレポとして見るのなら、もっともっと「質」の高い記事、サイトは山のようにあると思います。でも、これは「はあちゅうさんが紹介している」からアクセスも伸びる、つまり価値があるんです。すごいわかりやすくいえば、これが「コンテキスト」だと思うわけです。


要するに「ファン」を作るのが大切。

いやまぁ、「コンテキスト」というかっこいい言葉を使ってますが、要するに「ブランドに対してファンがつくか」が大切になるということです。

(中略)

さらに突っ込んでいうと、Google的な意味での「良質なコンテンツ」を作ることと、ファンを集めていくことは、基本的に関係が薄いと考えています。

Googleは「入り口」としては使えますが、ゼロからのブランド形成にはなかなか役立ちません。実際、はあちゅうさんのブログってあんまり検索流入ないんじゃないかな…。ファン形成というのは、むしろマスメディア露出とかオフラインの施策とか、単なるGoogle対策とは違った方法で実践していくものなのでしょう。

コンテンツの「質」で勝負するサイトは負ける。チャーハン写真で膨大なアクセスを稼ぐ「はあちゅう」ブログを見習おう : まだ東京で消耗してるの?

 

つまりファン形成をして読者を囲い込むようになっているということです。そのコアなファンの間で評価されていけばよい。それで成功するというわけです。そして彼らは以下のように言います。

 

 質の勝負は行き詰る

先の記事に「コンテンツの質を追求して勝負していくと行き詰まる可能性がかなり高いと考えます」とありますが、まさに、質の勝負はどこかで行き詰るんですよね。書き手も賢くなっていきますから、そのうち安価なクラウドソーシングでも、Google的な意味で良質なコンテンツが量産できるようになると思います(というか、すでにそうなっているかも)。

だから、高品質なサイトを作ろうとする努力は、常識的な範囲で十分だと思います。いっそ質なんぞ無視しても大丈夫です。それよりも、読者から愛されるための施策を打ちましょう。そうすれば、検索エンジンの流入もコンバージョンも、あとからついてきます。

コンテンツの「質」で勝負するサイトは負ける。チャーハン写真で膨大なアクセスを稼ぐ「はあちゅう」ブログを見習おう : まだ東京で消耗してるの?

 

結局検索流入も何も関係ない。書き手の主張はすでにいる読者(ファン)のみに届けば良い。それで完結するという世界です。だから実際には「分かる人に分かってもらえればよい」という書き方になります。そして活動の主体はオンラインではなく,オフラインへ…。

 

問題はそうした流れの中でどうするかという話でしょう。つまりブログに何を求めるのかという話です。見てほしい人にだけ見てほしいのなら読者を囲い込むだけで十分であるし,自己のブランド化を図り,すでにいるファンに向けて話す方が楽ですし,アクセスも伸びるのかもしれません。また読者が読みたいことを書きたいならその方が快適です。

 

一方でシロクマ先生のように書きたいことを書きたいという方もいるでしょう。シロクマ先生はそういう立場で不自由を感じているのかもしれませんし,利用者が増えればそう感じる人が増えるのは確かでしょう。しかし,私が見ている限り,シロクマ先生に批判や嫌悪が集中していることはなく,賛否両論入り乱れているというのがほとんどではないでしょうか。もし批判という意味で言えば以前の方(コミケ的?)が強烈な批判があったように思います。

 

それで批判が集中しているものは書き方(表現)が悪いものがほとんどのように見えるのは私だけでしょうか?特にツイッターの炎上案件のようなものをシロクマ先生が起こすとは考えられないです。ここら辺はシロクマ先生の見解を聞いてみたいところです。

 

最後に

 私自身は自分が好きなことを書いているわけですが,表現には気をつけています。そうしていれば反応が批判一色になるようなことはないと思いますがどうでしょうか。私が泡沫ブロガーだからかもしれませんが。

 

また自分はファンを囲い込んでそこで受けるネタを書くみたいなのは苦手なので,そもそもできないし,今のスタイルを継続していこうと思うのですが,ただブログを通した出会いは面白いのでオフラインでの活動もしてきたいなと思います。

 

それで結局,不自由さって自分たちが思っているほどのものではなくて,逆に自由というのも自分たちが思っているほどのものではないと思うんですよね。そこら辺は自分でうまくコントロールできる領域,つまりその程度でしか「自由」でないのであり,,多分に思い込みの影響を免れていないように思うのですがどうでしょうか?

 

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)

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