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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

批判は誰のためにあるか~3つに分類して考えた

考え方

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以下のドボン会 会長 (id:dobonkai)のエントリーを読みました。会長は場としてのはてなブックマークについて議論しているので,私は場ではなく批判そのものについて論じてみたいと思います。以下の話は批判一般の話ですので,ブックマークコメントに限定されるわけではありませんが,観察対象としては,はてブが多いというのはご了承ください。

 

だけれども、はてなブックマークと言うのはその記事とは別に、独立した場所に存在しているはずであり、元になった記事の執筆者の権利が及ばない自由な「場」というイメージを「俺は」持っている。


はてなブックマークコメント欄は誰のものなのか? - ネットの海の渚にて

 

さて「批判」という言葉はどういう意味合いで使っているのかあまり考えたことがないと思います。私はここで批判を誰のためにあるのかという要素で3つに分けてみました。

 

1.観客のため

そのブログを見ている観客(読者)のために批判をするという方もいます。この場合,相手のことも自分のこともある程度横に置いておいて,それを見てくれる人を楽しませるというエンターテインメントの要素を帯びてきます。ある意味,はてブにおける大喜利などもこの中に入るでしょう。

 

そのためブログの記事はどうでも良くなって,批判によって自身の承認欲求を満たすなんてこともあり得ます。

 

2.自分のため

これは批判コメントをすることで自分の欲求を満足させる,自分の不満をぶつけることで気分がよくなるというものです。「感情的な批判をするな」とは言いますが,多かれ少なかれ感情が入っていない批判はあり得ません。問題は程度問題であることと,その言葉づかいにあるでしょう。

 

ただしこうした行為は不満そのものを解決するわけではないので,繰り返し不満をぶつけたり,別の獲物を探して不満をぶつけることがあるので,ブロックされたり,通報されたりする人もいます。

 

また基本的に相手を受け入れるべくしてなされる批判ではありませんので,相手が受け入れてくれるということも期待できません。その結果,単なる罵りあいになる可能性も否定できません。よく言われる「批判のための批判」というものだからです。

 

3.相手のため

相手の忘れている視点や間違いを指摘するための批判と言うのもあります。これは書き手にとって非常に有益ですので,そうした批判は大歓迎でしょう。ただこうした批判はネットを見る限り,少ないのかもしれません。

 

学問の世界では指導としてこうした批判はなされることがあるのですが,本人は相手のためだと思っていても,自説を延々と述べていることもあり,相手のために批判をするというのはなかなか難しいものです。こういう批判ができる人間に私はなりたいと思っていますが,道半ばです。

 

そもそも批判とは?

 さて,こうして簡単に批判というものを3つに分類してみました。そこで,そもそも批判というのはどういったものなのかと考えた場合,相手の主張をしっかりと受け止め,その上で事実をもとに相手に意見を述べていくという意味だと思います。こうした批判に関する認識は私だけがもっているわけではありません。例えば批判的思考について楠見孝さんは以下のように書いています。

 

批判的思考において大切なことは,第 1 に,相手の発言に耳を傾け,証拠や論理,感情を的確に解釈すること,第 2 に,自分の考えに誤りや偏りがないかを振り返ることである。

http://www.psych.or.jp/publication/world_pdf/61/61-5-8.pdf

 

こうした話を踏まえれば,私は3が本来あるべき批判ではないかと思います。しかし,人間は感情を完全に排除して客観的事実のみに基づいて批判することなどできませんから,2のような要素が入ってくることはあるでしょう。しかし,2の要素があまりに強いとそれは批判ではなく否定だと言われても仕方がありませんし,もちろん相手が聞き入れてくれることはありません。

 

1に関しては批判というよりもディベートという感じで観客が賛否を決めるゲームのような感じだと思います。そういう意味では批判という言葉は適切ではないのかもしれません。

 

さいごに

批判というのは言うほど簡単ではなくて,単なる否定になって相手を怒らせるだけで終わることもありませう。こちらが相手の意見をしっかりと理解すると同時にどう伝えたらいいかの記述まで要求されるのかもしれません。とても難しいことですが,「批判のための批判」にならないように気を付けたいものです。そして相手に影響を与えることができるような批判,相手のためになる批判をしたいなと思っているのでした。