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いつか朝日が昇るまで

子育て、受験、日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんの気楽な子育て,中学受験を応援します。

まだ「いじめゼロ」とか言ってるんですか?

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「いじめは良くない」 「いじめは無くそう」と私が小学生の頃から言われてきました。しかしいじめが無くなったという報告は聞いたことがありません。また大人になると大人の世界にもいじめがあるよねと分かるわけで、いじめが無くなるなんて本気で信じている人なんていないのではないかと思ってしまいます。それで出される結論は以下のようになるわけです。

 

「いじめゼロ」は非現実的である以上に、教師からの報告をためらわせてしまうことになる。それよりは、いじめが起こるということを前提にして、いかに早い段階で教師がそれに気づけるかという課題設定である。そのほうが、現実的な対応といえよう。
聞こえのよいスローガンに惑わされることなく、子どもの問題を冷静に見ていく態度が求められる。 

 


「いじめゼロ」宣言は、いじめを温存する――「虐待ゼロ」「体罰ゼロ」 教育の世界にあふれるゼロ信仰(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

私自身,いじめられた経験があるので,その辛さというのは分かりますが,まだこうした子どもを注意してみていこうみたいな形で終わってしまうのは何なんだろうなあと思うわけです。

 

 

いじめの後遺症~どう影響したか - いつか朝日が昇るまで

 

 

それで以前,私は以下の記事を書きました。

 

好き嫌いそのものを無くそうとする教育っておかしいよね - いつか朝日が昇るまで

 

人間なので好き嫌いはあるわけで,問題はそれが集団で一人に対して向かうことなんですね。小学生なんか相手にしていると「あいつくさい」とか「あいつキモい」とか平気で言うわけです。時には先生に対しても言います。ただそれが集団でのいじめに発展しないようにしていくことこそ重要なのではないでしょうか。しかし,これ,言うは易し行うは難しなのです。

 

残念ながら私がいじめられている時,教師はそれに気づきませんでした。しかし,ある日突然,いじめていた子が無視されるようになったら,「いじめはダメ」と言うようになりました。それはそうでしょうね。今まで元気に威張っていた生徒が急に静かになったわけですから,誰でもその異変に気付くわけです。逆に私がいじめられていた時はいじめっ子に従うのが常態化していたわけですから,その異変に気付かない。とても分かりづらい状態だというわけです。

 

こうした集団のいじめに発展しないようにするためには,そういう異変に敏感に気づく人が必要で,これって簡単なようで難しいんですよね。そうした難しさを担任にだけ背負わせてうまくいかないでしょう。いじめというのは学校の問題ではあるわけですけれども,実際にいじめは塾で行われていたり,通学路で行われているわけです。だからいじめの問題はもはや学校だけでは解決できない問題だと思います。はっきり言って小手先だけのスローガンや意識高めましょうみたいなやり方ではダメだと思うのですが,どうでしょうか?

 

 

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

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